仏教は生きるための智慧。視点を広げる大切さと生きる勇気を与えてくれる

仏教を説かれたお釈迦さまは、元・シャカ国の王子さま。

お母さまのマヤ妃の生まれ故郷でもある、ルンビニー園という花園で生まれました。

 

お釈迦さまの生誕日は4月8日。

この日を花祭りとして、小さなお釈迦さまの像に甘茶をかけてお祝いする習わしは、花でいっぱいのルンビニー園をイメージしているのだそうです。

暖かな春、生命が芽吹く季節を感じさせてくれる素敵なお祝いですね。

 

天上天下唯我独尊とは、私たちはとても尊いのだということ

マヤ妃から生まれた王子は、ハスの花に受け止められます。

生まれたばかりの王子は立ち上がり、東西南北にそれぞれ7歩ずつ、歩みます。

そして姿勢を正して右手で天を、左手で地を指差し「天上天下唯我独尊 三界皆苦 吾当安比(てんじょうてんがゆいがどくそん さんがいかいく ごとうあんし)」と宣言したという話はご存知の方も多いと思います。

天上天下唯我独尊 三界皆苦 吾当安比 を分かりやすく訳すと、次のようになります。

天が上 天が下。

この広い全宇宙の中に 私たちは生まれてきた たったひとりの唯一の存在で とても尊い。

この世はすべて 苦しみばかり。

わたし(お釈迦さま)が その心を安らかにするだろう。

王子の名前「シッダールタ」とは「目的を成就したもの」という意味。

仏教からも、シッダールタという名前からも「この世界では人間のみが成し遂げられる、果たすべき尊い目的がある」ということを伝えてくれているように感じられます。

 

この世は弱肉強食・・・?

シッダールタ王子が12歳の頃の話です。(と言われています。)

祭典を行なって神々に五穀豊穣を祈る農耕祭に、お父さまのスッドーダナ王と列席していた王子は、あるものを見ます。

耕された土の中から、小さな虫が現れました。

現れた小さな虫を、小鳥がついばみ、飛び立ちました。

小さな虫をくわえた小鳥が飛び立ったとき、一羽の猛禽(もうきん)に足の爪で捕らえられました。猛禽は大空に舞い上がり、そして姿を消しました。

 

息を飲むような劇的な光景でした。

この光景を見た王子は、悲しみに襲われます。

 

普通の人であれば、弱肉強食は自然の法則であり、生きるためには仕方がないのだと受け止め、捉えます。

シッダールタはそれを「地獄」と見ました。弱肉強食のこの世は地獄である、これを解決することはできないのだろうかと悩みました。

このときに、初めての坐禅を組んだそうです。

 

生きとし生けるものの生の営みの中にある、逃れられない苦しみ。

殺し合わなければ、生きられないのはなぜか。

生きているもの同士で、助け合うことはできないのだろうか。

 

シッダールタ王子は、のちに仏陀(ブッダ)となられ、釈尊と呼ばれるようになったお方です。

弱肉強食の世界を、仏陀の澄んだ瞳で見れば、世界はこのままで「ともに生きる世界」であるのだそうです。

世界は、このままで完璧だったのです。

 

「オオカミ」と「シカ」がいたとして、両方がいるから平和共存できるのだという宇宙の真実の姿を、仏教はおしえてくれます。

ほんの少し、ものの見方を変えよと伝えてきているのです。

 

もしオオカミがいなかったら、シカは草を食べ尽くしてしまい、食べる物が無くなったシカたちは全滅です。

オオカミのいない草原は平和ではありますが、その平和は長続きできないのです。

オオカミが適当に殺してくれるから、シカの数が増えすぎずにバランスが保たれて、ちょうど良くなるのです。

 

シカは、オオカミによって生かされている・・・?

このものの見方は宇宙視点に近いような印象を受けます。

 

仏陀や宇宙から見る「平和共存」とは、人間の視点とは全く違う、とても広大で、広がり続ける空間が存在していたことを感じさせてくれます。

別次元の高いところから見ることによってのみ、気付ける真理というものを伝えてくれているのでしょうか。

 

人間は地球上の生き物たちによって、生かされて生きている

人間は、食べるために魚、牛、豚、鳥などの生き物を殺します。

植物の命をいただきます。

 

そんな私たちは、誰からも命を奪われません。

人間同士で傷つけあって戦争をしています。娯楽や衛生目的で動物や虫を殺します。

 

仏教では、むだな殺生は控えるようにと戒めています。

 

人間ははたして、生命あるものたちとの「共に生きる共存の世界」では、一体どのように生きるべきなのでしょうか。

 

仏教の教えで説かれている「人間のみが成し遂げられる、果たすべき尊い目的」の達成のためには、

・ほかの生きている命をいただいて、わたしたちは生きているのだという事に改めて気づき、感謝をすること

・ものの見方を柔軟に変えて、一見、地獄と思われる状況の中にこそ存在している真理(光)を見出すこと

これらを意識して実行することが大切なのだろうかと、今のわたしは、そう考えております。

 

さいごに

当時の歴史的背景が加わりながら仏教が広まってゆく中で、各宗派が生まれていきました。

仏教はブッダの弟子たちによって広められたそうでしたが、ブッダ自身は仏教を広めなさいとは言っていないそうです。

ブッダの様になりたいという弟子たちの尊敬の想いから、口語で伝えられていった事が始まりの様でもありました。

 

その様な素晴らしい方が紀元前5世紀にいらっしゃって、その教えは今も続いています。ゴータマ・シッダールタさんの存在の大きさは計り知れません。

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