創世記とは、混沌が世界を創造していく最中の変容

コロナウイルスの世界的な流行にともなう時代変化の加速を、身を持って体感しているこの頃ですが、教育現場においても影響が出ているということは、過去に類を見ない急速な意識や価値観の変化をも、余儀なくされます。

この混乱の中で、嬉しい変化とそうでない変化の波は、世界中の1人1人に同時に押し寄せてきています。

 

変化とは混沌。陰と陽、光と影、どちらもあってひとつの世界が生まれていきます。

 

とある田舎の市立小学校の入学式は、バーチャルセレモニーそのものでした。

国家斉唱は教師がピアノを弾き、それに合わせて参列者みんなで国歌を歌唱したものの、校歌については、事前に在校生の歌声を録音したものが再生されました。

 

出席者は入学生、保護者、教師のみと限られておりまして、椅子と椅子との間隔は広く取られていました。

出席人数の少なさと会場の広さが、時間の制限という枠から外れた存在である「録音された歌声」によって、まるでバーチャル世界のような空間を、さらに際立たせていました。

 

校長は壇上でお話ししていました。

近い将来は、たとえパンデミックでなくても、校長の映像が映写機のようなもので映し出されて、話を聞くのだろうというイメージが脳内を駆け巡りました。

そのような未来が日本全国に広まるのも、そう遠くないでしょう。

 

子どもの頃に見たスパイ映画では、未来の地球だったか、宇宙ステーションだったかの秘密基地にメンバーが集まって、バーチャル映像で映し出されたボスから指令をもらうシーンがありました。

 

私たちは、もう、あの頃に思い描いていた未来にいるのです。

 

都会の私立でもない田舎の市立小学校の入学式が、パンデミックのために、関係者全員がその場に集まらなくてもセレモニーを実施させるスタイルを取りました。

堅い教育現場でこのような形を選択した(選択せざるを得なかった)というのは、本当に大きな進化だと思うのです。

 

そのエボリューション(発展・進展)に立ち会うことができるわたしは、きっととても幸せなのだろうと、そう思っております。

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