星の王子様は、フランス人の飛行士で小説家でもある、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの小説です。
1943年にアメリカで出版され、初版以来、200位上の国と地域で翻訳されました。
挿絵に描かれる金髪の少年はかわいらしくありながらも、彼は自分の主張をはっきり持ち、毅然としています。
そんな王子さまが悩み、考え、大切なことに気づいていくストーリーは、大人である私たちに向けたファンタジー小説でもありますね。
人生の中で大切なことって実はシンプルで、数もそう多くないよと、傷ついたわたしたちの心をキラキラと光る透明な言葉で満たしてくれます。
最近、星の王子さまを数年ぶりに読み直しました。子供が、読書感想文用の本として選んだことがきっかけでしたが、久しぶりに会った王子さまはわたしに大切なことを再びおしえてくれました。
ここでは、星の王子さまの旅をたどりながら「目に見えない大切なこと」を簡単にまとめてみようと思います。
輝くばかりに愛らしい星の王子さま
砂漠に飛行機で不時着した「僕」は、星の王子さまに出会います。
いくつもの星を巡ってから7番目の星・地球にたどり着いた王子さまは、急にヒツジの絵を描いてほしいと言ってきたり、大ヘビボアに飲まれたゾウの絵であることを見抜いたりと、まるで人の心の軌跡を見つめているかのようです。
子供の王子さまと、大人の「僕」は、大事にしているものがそれぞれ異なります。
ちがっているから会話も噛み合いませんが、言葉のやり取りを重ねていく内に「僕」は忘れていたものを思い出していきます。
それは、人間だれもが持っている、目には見えないものに気づき、感じ取る力だったのかもしれません。
弱いからトゲを出す。ことばじゃなくて、してくれたことで見るべきだった。
かつて王子さまの星では、とても美しいバラの花が一輪、咲いていました。そして王子さまのことを愛していました。
バラはとても弱いから、王子さまを度々困らせるようなことを言って、もろい心を隠します。
王子さまは、バラの奥底に隠された気持ちが分からないために、バラを愛する気持ちがあったにも関わらず、徐々に信じることができなくなります。
バラの気まぐれな言葉を真に受けるたびに、王子さまはみじめな気持ちになります。
そして、王子さまが星から旅立つために別れを告げる日、バラの花はあなたを愛していたと告げます。
4つのトゲをもって一生けんめい傷つかないようにしているバラの姿からは、自分の心を必死で守りすぎるあまりに、伝えられなかった思いの悲しさが伝わってきました。
自分の心を素直に出せないというのは、それだけで非常につらいですし、その境遇に至るまでに過去に経験したであろう心の傷は、さらに深いのでしょう。
バラの気持ちを知った王子さまでしたが、星をあとにします。
なつくというのは、絆(きずな)を結ぶということ
砂漠と岩と雪の中を長いあいだ歩きつづけていた王子さまは、バラが5千もある庭園にたどり着きます。
あのバラは、自分がこの世で一輪しか存在しないと話していたから、この光景を見たら機嫌がわるくなるだろうなと思います。
それから、この世に一輪しかないあのバラが自分の星で咲いていることは、まるで財宝を持つように感じていたけれど、本当はありふれたバラだった。他には小さな火山が3つしかなかったのだとも思い返し、王子さまは草の上につっぷして泣きました。
「そんなものだけでは、ぼくはりっぱな王子さまにはなれないよ。」
けれども、そのあとに出会ったキツネは、大切なことを伝えてくれました。
「絆(きずな)を結ぶ」ということです。
確かに、この世界にはバラは一輪だけではなく、たくさん咲いています。王子さまのような男の子も、キツネも、世界には数多く存在しています。
その中から巡りあった相手との距離を、辛抱づよく少しずつ縮めて、なつかせて、そうするとやがてお互いは、相手にとって特別な存在になります。
なくてはならない、自分の一部になるのです。
辛抱づよく、相手に安心感を与えながら、少しずつ距離を縮めていくというのは、相手に愛情があるからこそできること。
思いやりと安心感を与えつづけることこそが、相手を愛するということなのかもしれません。
そうして王子さまは気づきます。
自分の星に咲いていたバラだけが大切な存在であったということ。
自分の星に咲いていたバラをかけがえのないものにしたのは、王子さまが費やした時間であったということ。
キツネが伝える秘密
じゃあ、秘密をおしえるね。とても簡単なことだよ。
ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない。
人間たちは、こういう真理を忘れてしまった。
きみは、なつかせたもの、絆を結んだものには、永遠に責任を持つんだ。きみはきみのバラに責任がある・・・
一般的に目に見えないものとは(自身の身体の脳や内臓以外で言いますと)人間の心や、「気」と呼ばれるような気分や気持ち、エネルギー、想像力、素粒子、空気、音、に代表される、何だかフワッとして掴めないようなものを指していることが多いのではないでしょうか。
この現代においては、目に見えるものとは相手に伝える上で大きな説得力を持ちます。
自分の思い、伝えたいことを数値化して文章に変えて伝えていく力や、意思決定の材料としてそろえる能力などは高いに越したことはなく、重要とされる場面が多いことも事実です。
より具体的で伝わりやすく、より明確により正確にと目に見えることを充実させ、優位さを手に入れることで、チャンスを得て新しい道が切り開かれることも確かにあります。
そんな中、ある日ふと見つめ直すと、見える見えない、あるか無いか、だけで判断する世界だけではどうやら限界があるようだという気がして、急にさみしさと空虚感に包まれます。
それはきっと、人間の心の奥底では、目に見えない世界が自分たちにも確実に作用しているということを知っているからではないだろうかと思うのです。