死後の世界と向き合うと、今を生きる大切さを思い出す

死ぬときは苦しまずにコロッと死ねたら、きっと幸せなのだろうなと思うのですが、死んだ後のことまでは、あまり考えたことはありませんでした。

死後の世界には、天国・地獄・煉獄があり、そのいずれかに行くのだというダンテの「神曲」を覗いてみると、今まで自分がしてきた事を振り返らずにはいられません。

 

天国・地獄・煉獄という表現からは、キリスト教を連想させます。

宗教が語る死生観というのは、それを広めた当時の政治や人民を統率しようとしていた意図をも感じてしまいます。

 

イエス・キリストさんやお釈迦さまが本当に伝えたかったことは、わたし達人間が愛と光の存在であり、幸せになるためにこの世に生まれて生きているのだよ。ということであったのだろうと思っていました。

そして、その言葉が世に送り出された当時の背景についても深く知る必要は、もちろんあります。

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死んだあと、どうする? どうなる?

キリスト教において、自殺は間違いなく地獄行きだそうです。

そのため、クリスチャンで自殺をする人は、ほとんどいないという事を聞きますと、宗教の信仰によって自殺を止めれるのであれば、信仰心とは素晴らしいなと改めて思います。

 

外国では、生まれてからすぐに特定の宗教に属し、その教えを生活の一部として生きていますので、宗教が心のよりどころとなっています。

 

死後の世界を強く意識され、では今どう生きるべきかということを真剣に考えています。

 

死後の世界については、宗教や宗派によって様々です。

そして、科学にも死後についての考えがあるそうです。

 

宗教全般的には、良い行いをした人は天国に行ける、そうでない人は地獄へ行くという考えが共通して一般的に見られます。

 

ところで、日本に古くからある「神道」は、厳密には宗教ではないらしく、宗派によっても別れる様ですが、次の様な死世観を持っている様でした。

・神(自然)から生まれて神(自然)に還る
・人として自然から恩恵を受け、死んだ後は恩恵を与える側にまわる
・守り神は自分たちの先祖であるので敬い、供養する

 

供養という概念は、もともとは神道の考えだったらしく、それが日本仏教にも移ったそうでした。

仏教では、死=仏になる という考えらしいので、天寿をまっとうされた死であれば、めでたい事でもあるのだそうです。

 

死ぬことはおめでたい、という捉え方にはもちろん賛否両論あるとは思います。

これは非常に発言する時と場所、場面を考えて行うべきではあることは重々承知しておりますが、批判覚悟で申し上げますと、過去にわたしは、死ぬことはこの世の苦しみから解放されて楽になることではないかと思っていたこともございます。

 

輪廻転成とは魂の修行なのか 真の意味とは

輪廻転生とは、宇宙に生まれた魂が、繰り返し転生を繰り返すことであると一般的には捉えられています。

仏教系やヒンドゥー教、それ以外の宗教や世界各地でも、この考えがある様です。

 

輪廻転生が本当にあるとして、神さまは一体、何の目的で輪廻転生という仕組みを設けているのでしょうか。真の意味は何なのでしょうか。

生きる者の魂を向上させることによって、別の何かの目的を達成するためでしょうか。

私たちの体験や得た情報を、死後、宇宙のデータベースとして蓄積させるためでしょうか。

それとも、その輪廻転生の輪から抜け出し、魂が更なる高みを目指していくためでしょうか。

 

と、この世の不思議については色々考えてしまうものではございますが、

今のわたしは、人間に生まれた事を有り難いと感謝して、今のこの瞬間を愛と感謝のエネルギーで満たし、楽しく豊かに生きることが魂の修行なのではないかと考えます。

 

辛い時も、苦しい時も、悲しい時も、愛と感謝の光で心を満たし続ける。

これ以上の修行は、この世にはないと思ってます。

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