相手に伝える 言葉を贈る 素直になることを怖がらない

相手に、自分の頭と心の中そのままを伝えたい。

伝える相手の事を意識するたびに、それを言葉で表現するたびに、そう思う事が増えました。

 

忙しいあの人に、少しでもこの文章を気に留めていただくには、どう書けば良いのか、どう工夫すれば良いのかなどについては、一見、当たり前の事すぎて、自分では分かっていたつもりでした。

そのような傲慢な思い込みを持っていたと気付いた時は、未熟な自分を本当に恥ずかしく思いました。

 

地球上には、子供もいれば、若者もいて、中高年の方、ご老人もいらっしゃって、それぞれに読みたくなる文章、伝わりやすい表現は異なります。

 

世代の事を抜きにして、巷のあらゆる場所で飛び交う文章を眺めておりますと、同じ内容であっても書く人の表現によって、私自身が受け取る印象が全く違ってくる事も多い事にいつも気付かされます。

この差は一体、何なのだろうかと自分に問うようになりました。

 

見た目の文章においては、この差はほんの一文字、ほんの僅かな表現の違いだけであったりします。その差からの受け取る想いの大きさは、天と地ほどの差があると感じます。

 

伝える側の心の在り方、相手を尊敬する心、そういった目に見えないものを大切にするマインドの差なのかもしれないと、今の自分の中では、そう答えが出ております。

 

その人の頭と心の中が表に出るとき、それは表現されたものの中の、ほんの僅かな繊細な違いであります。

その僅かな差に気付けるような人間に少しでも近づきたく、これは日々の学びと行動によって積み重ねていくしかないため、私自身、この探求は一生、継続して行ないたいと思っております。

 

自分をむき出しにする

相手に本心を伝える時とは、自分の心の内をさらけだす時でもあります。

等身大の、そのままの自分をさらけ出すのは、とても勇気がいります。

 

「そのままの自分」とは、できないこと、失敗したことまでもを他人に見せること。何もできない自分だと思われるかもしれないと思うと、普通だったらとても怖いと感じます。

 

人間って、つい自分を守るために、自慢ばなしを語ってしまいがちなのです。その方がとても楽でもあります。

けれど、自分の失敗談を面白く話せる人の方が、実は相手からは親みやすい人だと感じてもらいやすい傾向があります。

 

そんな人ほど、周囲からとても好かれます。

 

どんな出来事だって、笑いばなしにしてしまえば、近づきたい相手に近づくための切り札にする事もできます。

心の余裕、ユーモアさは、寛大さでもあります。おおらかさというのは全てを包み込んでくれる母のようでもあり、とても魅力的です。

 

なぜ、私はこのような行動をとったのだろうか?、なぜ私はこのように思ったのだろうかということを深く、ふかく、心に問いながら自分に尋ねていくと、それらはほぼ、自分を守るために取っていた行動であったという所にたどり着きます。

 

むき出しの、そのままのあなたの心を自分で認めた時には、あなたの信念はあなたの思考とマインドに、まるでパズルのピースが合うようにパチリと、はまる出来事が起こります。

 

その時、つらい砂漠のような状況だと思っていた景色の中に、存在していた見えていなかったオアシスに気付けるようになります。

人生の中で波が立った時こそが、自分自身を見つめ直すチャンスでもあります。

 

素直になるのにも勇気が必要。でも怖がらないで

たとえ人を助ける力を持っていたとしても、それが相手に伝わらなかったら、その力は無いに等しくなってしまいます。

私としましては、常にどう行動していくべきかと自分に問いながら模索を続けていく事も大切だなと実感しております。

 

合わせて、素直になることを恐れないというのも、重要だと思っております。

 

素直になるのが怖いのは、自分の心を開けば開くほと、真剣になればなるほど大きく傷ついてしまうから。

 

それでも、素直になるほどに、等身大の自分の目線から現実を見つめるほどに、本当に違った視点が見えてきます。

その中には、あなたが必要とするちがった世界、ちがった人との出会いが待っているかもしれないですね。

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