グリーンマンと呼ばれる精霊がいます。
「葉の頭」「葉の仮面」などとも呼ばれ、中世ヨーロッパの協会の壁や柱にも、彫刻として存在しています。
グリーンマンは、顔や体が木、葉っぱ、枝のようなもので覆われ、口や耳からは蔦(ツタ)などが生えていることもあるそうです。
林や森を監督して守っています。木々の成長を助け、見守ります。
そして、人間にも常に語りかけているのだそうです。
グリーンマンは賢者であり、アミニズム信仰の名残り
グリーンマンは、かつて地上を覆っていた原生林が誕生した太古からいるとされ、森林や樹林に宿る霊魂への尊敬(アミニズム信仰)の名残りとも言われています。
すべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方ですね。
キリスト教以前のケルト神話などでも、アミニズム信仰は見られます。
古代ケルト族のドルイド僧は、木の知識をもつ人たちとして知られています。
ドルイド僧とは、ケルト人社会における祭司のことです。当時の社会的影響力はかなり大きい方でした。
ドルイド僧は、オークの森を聖なる地としてオークの木から知恵を授かりました。
木々の中で儀式を行い、木は、大切な情報を伝えてくれている存在としてお告げを受け取っていました。
神聖であり、かつ、神のシンボルとして扱われた木々としてはオーク、オリーブ、柳、松、月桂樹などがあります。
木々を崇拝する習わしは、ケルト人だけでなく世界中にも存在します。
木はすべてを見ている。すべてを知っている
「木」と「樹」の違いが気になったので調べてみました。
「木」は一本で立っている木をイメージして生まれた漢字です。根付いて生きている木はもちろん、切り倒され加工されて木材や原料となった木にも、どちらにも使えます。
「樹」は、大地に根をはり、生命をもって生きている木に限って使います。そう思ってみると、「樹」という漢字からは、命のみずみずしさが感じられてきますね。
ところで木の幹や枝、葉っぱなどが人の顔のように見えたことはないでしょうか?
古くて大きな木々によく見られる樹皮のふしや模様の不思議さに目が離せなくなり、いつまでも眺めていたこともありましたが、年月を感じさせる脈のスジが、落ち着きのある知見豊富な老紳士のイメージと重なってきます。
そして、大雪が降った季節、スキー場に向かう途中で山の中を通り過ぎたときに見た、大きな木々の葉が風に揺れる姿や、雪が枝に積もって垂れ下がった様子からは、とてつもなく巨大な生き物がそこにいるように見えたこともありました。
木とは、太古から存在し、人間よりもはるかに長生きで、多くの知識を蓄えてそこに存在しています。
そして、わたしたちにいつも語りかけているのだそうです。
木のスピリットが語りかけてくることとは
あなたの周りにいる植物が話しかけている、と言われてもピンと来ないかもしれません。
でも森や山、緑ゆたかな場所に行くと、それだけで不思議とリラックスできて、落ち着きを取り戻せるという経験をお持ちの方は多いのではないでしょうか。
そのために、わざわざ郊外の自然豊かな地へ足を運ばれるという方々もいらっしゃいます。
木々は人間の気分、呼吸、鼓動を調整してくれます。
本来の自分を呼び戻すことによって、今までの自分を冷静に見つめ、徐々に自分自身に今までのこと、これからのことを問いかけるようになります。
そして、今を生きる勇気を取り戻します。
いま述べたことはわたし個人の経験にすぎませんが、これが「木々が人間に語りかけている」ことではないのだろうかとも、わたしは思うのです。
陸続きの小さな島の原生林を訪れたことがありました。
そこは、島が丸ごと国指定天然記念物に指定されていた原生林でした。
鳥居をくぐり、林に足を踏み入れると、なだらかな上り坂には落ち葉が敷き詰められ、まるでふわふわの絨毯を歩いているようでした。
ところどころに降り注がれる木漏れ日の優しさが、木々の生きてきた年月の深さを感じさせてくれました。
ずっと一生懸命生きてきたつもりであったわたしは、木々から見たらまだまだ赤子同然でした。
だから今日、木々は優しく迎え入れて包み込んでくれたのだろうかと、もしそうだったら嬉しいなと、よこぎるウスバカゲロウを見つめながら思いました。