堕天使ルシファーが墜ちたのはなぜかを考える事で気づいた真実の数と、劣等感との向き合いかた

我が家は木々と田畑に囲まれた、自然豊かな田舎の一軒家です。

家の窓からは、神社を囲む木々が見えます。そこに住んでいる鳥たちのハミングは心地よく、嬉しさで心も和みます。

悪天候時には雷がよく鳴ります。(避雷針があるためか、雷が多い地域のようです。)

雷には強力なパワーが宿っているらしいですね。これも神さまが創られた造形物のひとつだと思えば、不思議と稲妻の軌跡は芸術に見えてしまいます。

夜には星と月が空にあらわれます。

嬉しい事に、かなりたくさんの星が見れますので、ぼんやり天を眺めていると、子どもの頃に好きだった星座の物語を思い出します。

 

星座に興味を持ったのは、11歳の頃でした。これがきっかけとなり、星の物語でよく登場していたギリシア神話の登場人物を知る様になりました。

ギリシア神話に出てくる神さま達は、恋をしたり、嫉妬したり、危険な冒険をしたり、死んじゃったり、どこかの神さまの体の一部から別の神さまが生まれたり・・

神さまは神さまで大変なのね、と思っておりました。

 

多次元世界のように物事を色んな方向から観てみる

神さまとは、宇宙を創られた方であり、宇宙そのものでもあると私は思っておりますが、世界に存在している宗教や宗派によって、信仰されている神は異なります。

その中で日本人は、異質の存在にも中庸の状態である要素を、その遺伝子の奥に持ち、つかず離れずのスタンスを取る事が上手な国でもあると思っております。

初詣に行き、花まつりとイースターを祝い、ハロウィンにクリスマス、バレンタイン、お盆にお墓参りと何でも受け入れられます。

 

自分たち以外の考えや物事、習慣を、そういうものがあるのだと存在を認めて受け入れる。

神道の教えをのぞいてみると、日本人は古代から、その精神を引き継ぐ民族である様にも見えました。(もちろん、個人差はあるでしょうが。)

 

映画「マレフィセント」の様に、眠れる森の美女、オーロラ姫に呪いをかける事になった側の心境を知ると、どちらが悪でどちらが善なのかは、語るものの視点によって全く異なります。

そうなると、その世界そのものは反転し、善と悪、陽と隠、白と黒、わたしとアナタ、など線引きする事自体、その人のエゴを守るためだけである様にも感じます。

 

ある事象を、自分だけではなく、相手側からの視点でも物事を観る。これは、多次元世界の感覚のひとつでもあるのしょうか。

1方向からではなく、多方向から、広くたくさんの視点から、観て感じ取り、共存する。

私はまだまだ学びの最中ですが、それができる様になると、同じ出来事から全く別の感動を味わえるのかもしれません。

 

真実の数は宇宙の数

堕天使ルシファーは、キリスト教において、堕天使の長であり、サタン(悪魔)と同一視されています。

神にそむき、天から堕とされたとされていますが、地獄の最下層で罪人を裁いているとも言われているようでした。

宗教的な観点や、どちらが正しいとかいう事はさておき、もし地下層で罪人を裁いている一面があるとしたならば、それは神さまの手伝いをしているという事ではないかとも考えられます。

そうであれば、堕天使となったルシファーは、天から落とされたフリをして地獄を管理する役を買って出たのかも?と想像(妄想)しました。

 

真実は分かりません。そして真実とは、どなたから見た「真実」なのでしょう。真実は人の数だけあるのではないかというのが私の考えです。

1人1人が持っておられる様々な意見や考えは、その方たちの世界(宇宙)での真実であります。それらを総じて宇宙を知ることで、自分の世界をさらに確立できたらよいなと考えております。

 

宇宙を創造してくださった神さまは、厳しくも温かい存在。

人間は、その体内に光と影を内包させながら、この宇宙で営みの輪をつなげていくことができる不思議な存在。

人間自体が、この宇宙の意思の中で、混沌と秩序の中で、死と再生を繰り返している生命の息吹そのものでもあった事を、夜の星空を観ながら、この時に感じていました。

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