キリスト教の十二使徒 命をかけた宣教とイエス・キリストの影響力

キリスト教の十二使徒とは、イエス・キリストに直接仕え、特に関わりの深かった12人の高弟のことを一般的に指します。この12人は多くの弟子の中から選ばれました。

キリスト教は、ユダヤ教をルーツとする一神教。聖地は、イエスの誕生の地でもあるエルサレムです。

使徒の12の数は,イスラエルの12部族にかたどられたものであるらしく、このことからも使徒を選んだイエスには、イスラエルに代わる新しい神の民を結成していこうとする思いがあったのではないか、と考えられるそうです。

キリスト教の十二使徒 

  • ペテロ
  • アンデレ
  • ゼベタイの子ヤコブ
  • ヨハネ
  • フィリポ
  • バルトロマイ
  • トマス
  • マタイ
  • アルファイの子ヤコブ
  • タダイ
  • 熱心党のシモン
  • イスカリオテのユダ

イスカリオテのユダは、イエスを裏切ったことでも、その名はよく知られています。

当時、イエスを敵対視していた祭司長たちに銀貨30枚で引き渡しましたが、イエスが死刑になると知ると、自責の念にかられて自ら首を吊りました。ちなみに銀貨30枚は、奴隷1人分の額でした。

イスカリオテのユダの死後は「マティア」が後任となりました。

神意を尋ねるためにクジが引かれ、マティアはクジを当てて使徒となることができたそうです。

命をかけた宣教活動

イエス・キリストは、地上に表れた救世主(キリスト)として聖母マリアから産まれたと伝えられています。

当時は独自の宗教といえる規模ではなかったものの、原始キリスト教団を結成し、イエスは父なる神ヤハウェの言葉を人々に伝えつづけます。

そして人々の罪を背負い、身代わりとなって十字架に磔(はりつけ)にされ、命を失いました。

 

イエスの死後、十二使徒はおしえを広めるために伝道者とともにエルサレムからパレスチア、ギリシャと各地をまわりました。宣教途中に、十二使徒のほとんどは迫害され、命を落としました。

天寿をまっとうしたのは、ヨハネだけだそうです。

 

今では24億人という世界最大数の信者を持つキリスト教も、2000年前はまだ誕生したばかり。

皇帝を神格化する皇帝崇拝が常識だった、当時のローマ帝国は全盛期。皇帝を崇拝しない者は睨まれ、異端者あつかいを受け、処刑されたケースが多かったのです。

 

命の危険にさらされながらも、十二使徒はイエスのおしえ、福音を世界に広めていきます。十二使徒も行く先々で、人々に奇跡を起こします。

目の見えなくなった人の目を見えるようにしたり、生まれながらに歩けなかった人を歩けるようにしたりなどのミラクルが、新約聖書にはつづられています。

 

奇跡を起こしたあと「この力はわたしの力ではなく、父なる神とイエスの力である。」と語ってます。この奇跡の原動力は、聖霊(ルーハ)を通して行われるそうです。

世界の闇を取り払うために現れた神の子羊、イエス・キリスト。

命をかけて宣教を続けた十二使徒の姿からは「父なる神とイエス・キリストは、いつもわたしたちを見守っていてくださる。父と子を信じることこそが人間の救いなのである。」というニュアンスを感じました。

自分の中で、信じて疑わない存在があるだけで、人間は不思議と安心感で満たされます。身体から静かに情熱が湧き上がってきます。

それこそが、揺るぎないパワーとなるのだろうなと思います。

天国の鍵の意味するもの

十二使徒の1人、ペテロはイエスの1番弟子でした。元はガリラヤ湖畔の漁師で、当時の名はシモン。とてもリーダーシップの強い人だったようです。

イエス・キリストに「今後、お前はペテロと名乗りなさい」と言われ、その名が付けられました。

 

ペテロとは、岩という意味。キリスト教のベース、基本、土台になる人物であることを、イエスは見抜いたということです。

あなたは岩(ペテロ)である。この岩の上に私の教会をたてよう。死の力もこれに勝つことはできない。わたしは天の国の鍵を授ける。あなたが地上で縛るものは天でも縛られ、あなたが地上で解くものは天でも解かれるだろう。

(マタイによる福音書16:18-19)

ペテロはとても模範的な指導者でした。

ペテロは、イエスから天国の鍵を授かり、エルサレムおよび周辺の初期教会における初代ローマ教皇となりました。

天国の鍵とは、人が天国へ入ることを許可する権限。鍵がなくては天国は開かれません。

人が救われるための特権を、教皇は得たわけです。

 

このように、天国の鍵とは実際の鍵のことではなく「イエスから教会へ権限を移譲した」と解釈されることでもあるようです。(ローマ・カトリックにおいては、ペテロを「最初の教皇」としてはいますが、ペテロ自身は、教皇の支配権を主張したことはなかったそうです。)

 

ウェイト版タロットカードの「教皇(The Hierophant)」にも2つの鍵が書かれています。

交差する様に、カギ十字の形に置かれた2つの鍵は「神の扉を開けるのは、この鍵を持つ教皇(法王)のみである」というメッセージが読み取れます。

つまり、教皇の力は人間の肉体、精神、魂にも及んでいて絶対の存在であるということを表現しているのです。

 

 

 

 

「教皇(The Hierophant)」のウェイト版カードには「3」の強調が繰り返し描かれていますね。

教皇が身につけている3重の冠、手に持っている3重十字架、教皇の衣服の中にある3つの十字架、です。

「3」は三位一体の表現。

父(神さま ヤハウェ)
子(神さまの子 イエス・キリスト)
霊(聖霊・ルーハ)

の3つが一体、つまり唯一の神であるとするキリスト教のおしえのことです。

キリスト美術のアトリビュートによって存在している十二使徒

初期キリスト教美術で12使徒は、イエス・キリストを取り巻く12の鳩,羊,星などによって表現されています。

 

 

 

 

 

 

中世紀においてはイスラエルの12部族を表したり、アトリビュートによって「鍵・魚 → ペテロ」「巻き物 → ヤコブ」「本・ヘビにまつわる聖盃 → ヨハネ」「ラテン十字架 → フィリポ」などが表現されるようになりました。

 

 

 

 

 

アトリビュートとは、神話の神や、伝説・歴史上の人物と関連付けられた持ち物から、その持ち主を特定する役割を果たす表現方法です。

たとえば、正義の女神を例にとると、女神が手に持っている秤と剣、目隠しが、アトリビュートとして関連づけられた持ち物となります。

 

先ほどのタロットカードもそうなのですが、キリスト教絵画の中にみられるモチーフ、象徴、人物の向いている方向や仕草からは、暗喩している表現がとても興味深く感じます。

アトリビュートや図像学によって表現したかったメタファー(暗喩)に気づくことで、新しい発見を得ることも多く、奥が深いものでもあります。

 

さらに、キリスト教に限らず、宗教が古代から人間の歴史と密接に結びついていたこと、非常に大きな影響力を持っていたことも汲みとれます。

信仰とは何か? 祈りとは何か?

人は悩み、苦しみながら生きています。

そのつらさから逃れたい、楽になりたいという願いは、救いのための道を求めます。

その道しるべのひとつが信仰であり、宗教であるのかと思います。

 

宗教とは、神、または自然を超越した存在への信仰心に加えて、それに伴う社会的習慣、文化、儀式など、その人の生活すべてに関わってくる重要なものでもあります。

 

心が平穏になるための知識や働きかけを得ることは、信じれるもの、つまり影の中から光を見つけること。

その光とともに、自分の足で人生を歩んでいける幸せの道を手にすることでもあります。

いつの時代であっても、人はみな、救われたいという思いを胸に抱いているのです。

おすすめの記事