相手とのちがいは自分を見つめる鏡。宇宙がほしかったものとは多彩な視点と経験

人間ひとりひとりが、地球を構成している分子のひとつのように見えると書いてあった、ある本のある一文にすごく共感した事がありました。

吉野源三郎 著「君たちはどう生きるか」です。

確かにそうなのかもしれません。

そして宇宙から見たら、人間なんてちっぽけで、果てしなく広がる宇宙の中では、チリの一粒なのでしょうね。

そんな一粒にも、意識があるのは何とも不思議です。

 

光は自分を知る為に影を作る

宇宙ができた時、宇宙はたったひとりぼっちで、何も観測するものもなく、自分を知る事ができなかったそうです。

やがて宇宙の中でガスが充満し、惑星や星々、空間、法則が生まれていく中で、それらを鏡として自分を知りたくなったらしく、物質や人間のひとりひとりにも、宇宙の意識がそっと入ったのだと解説される方がいらっしゃいます。

 

自分という存在は何なのだろうか、自分の中には何があるのだろうかという答えを得るため、私たちから見た宇宙、あなたから見た宇宙、宇宙から見た私たち・・・そういった様々な視点や経験がほしかったのだということを耳にしたとき、「宇宙」とは感情のある人間のように思えました。

 

きっと人間だって、自分ひとりだけでは自分は何者なのかを知る事は難しいでしょうね。

相手がいて、特定の環境の中にいるからこそ、自分を知る事が可能になります。周囲の人たちと関わる出来事によって、楽しく過ごす事もあれば、摩擦だって起きます。

その時に発生する感情は、自身を知るための鏡となります。

 

なぜ悲しい? なぜ嬉しい? なぜ怒ってる? なぜ悩む?

ささいな感情の揺れから、自分が心の底に追いやって忘れてしまっていた本心に気づきます。

深く考えるきっかけをいただき、進む方向が見える事もあります。

 

そして宇宙もそれを知り、法則が発動するのではないかと思ってます。

 

この宇宙に必要ないものは無い

高次元では、互いの差というものは存在していなくて、愛のみの、究極に平和そのものだそうです。

皆がひとつであり、そこに存在する魂たちも、相手を傷つける事は自分を傷つける事であると知っているので、争いを起こさないのだと知りました。

同時に、肉体のある3次元は、自分と周囲との差を見つけて、一喜一憂している場所であったとも気付きました。

 

ただ、肉体があり生命を守る上では、差を感じる事は必要でもあるそうです。

相手との差を察知することにより、敵から身を守りながら生き延びてきた人間の歴史を見ても、それは重要な事であったと分かります。

 

では、差を感じる事で自分の生命を守ってきた事が、私たちの遺伝子に刻み込まれていたとして、生命の危険が無い環境においては、差というものはどういった扱いになるのかという所を考えた時、それは個性として表現されるのかなと考えました。

例えば、花の美しさ、色とりどりの鳥たち、魅惑的な形とツヤの虫たちなど、多彩な容姿やダンス、歌声は、最初は生きるために進化したのであっても、それを遥かに上回った芸術品の域に達しているものもあります。

 

その違い、お互いの特徴を楽しめたら、きっともっと素敵だなと思うのです。

お互いの違いを知ることで、自分の内面が映し出され、自身を深く知る事もできます。

 

3次元とは、周囲との差と多種多様な視点と経験を楽しむ場所

差がある3次元では、そういった新鮮さを体験する事ができますね。

そして、3次元は低い次元とか、高次元の存在が偉いとか、そういう事ではなくて、これも差(違い)のひとつなのかもしれないです。

 

差(違い)や、3次元だからこそできる体験というのを思いきり味わう為に、高次元の、究極に平和な類魂の中から、わざわざ魂がやってきて、限りある命を持つ肉体に宿ったのだろうなと、そう思えました。

いつか、また魂の仲間たちの所に帰れる時が来るまで、3次元での楽しみのひとつとして、今日の美味しいお茶をゆっくり味わいます。

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