
憎しみの心のまま、戦ってはいけない。
憎しみや悲しみは、誰かが歯を食いしばって断ち切らなければならない。
私たちは、愛の心で戦わなくてはいけない。
そして父親を目の前で殺された彼女は、憎しみの心を涙と共に捨て去り、愛の心で相手と向き合う事を決心したのでした・・・
という内容の、とあるアニメの、とあるシーンを見ていて目が離せなくなりました。感動して何度もなんども、繰り返し観ていました。
食い入るように、その場面を心に焼き付けていました。
・・・口で言うのは易しいが、怒りと憎しみで感情が泣き叫んでいる今は、愛の感情を呼び戻す事に抵抗が生まれる。
憎しみが力になるのならそれでも構わない、と相手を睨む彼女の眼と叫びは、彼女の力となり怒りに身を任せたまま身体を突き動かずにはいられなくなる。
どこかで負の連鎖は断ち切るべきだ。そうしないと永遠に悲しみが続くだけである事は、スピリットの部分では理解できなくないが、自我が、父親を失った悲しみを呼び起こす・・
これは、アニメの世界の出来事でしたが、実際の世の中においても同様、ある流れを変えるには、とてつもないパワーと勇気が必要になります。
今の常識を一度、疑ってみる
長年のしきたりによって文化に刻み込まれた古い掟、誰もが常識だと信じて疑わない意味のないルール。
伝統や美しさを表現するためと言われ、長年、フランスの女性たちの身体を締め付けたコルセット。
それを使用しないスタイルを提案したココ・シャネルも、最初は非難や嘲笑を浴びました。
そんな中でも自分の信念を貫き通し、事業を成功させた彼女は、私の尊敬する人物の1人です。
いつだって、周りに従わない者は異端者扱いを受けます。
そんな中でも自分を信じる心、何かを成し遂げたいと思う強い心、それを持ち続けることでチャンスを掴み、時流に乗る事が可能だと言う事を、歴史はおしえてくれます。
周囲に流されずに、自分の可能性を引き出す事を常に忘れない姿勢は見習いたいと改めて思いました。
そのためには、自分が感じる正直な感情に耳を傾けることも必要だと感じてます。
そしてあのアニメの主人公たちは、愛の心で敵と向かい合い、敵の心の中にあった寂しさ、悲しさ、不安、恐れを見つけ、それらを愛の感情で受け止めることによって浄化させてました。
愛よりも慈愛・赦しに近いものでしょうか。
釈迦如来やイエス・キリストのような心ですね。
私はまだまだ、自分の心のコントロールで精一杯ですが、であるからこその学びの多い人生を歩ませていただいていると思えばこそ、今日も神さまや宇宙に感謝しかないのです。