共振のことをレゾネーションとも言います。
楽器などには、音を鳴らす部分と、その音を振動させ共鳴させる部分があり、それぞれの役割を持っています。
この2つによる共同作業が共振(レゾネーション)。
共振の作用によって、楽器特有の美しい音を周囲に響かせることができるのです。
機械の部分だけでは、耳をすまさないと聞こえない小さな音のオルゴールも、品質の良い箱に入れることで、あの独特のうっとりする音色を奏でます。
音そのものが良くても、それを響かせる材質や構造が悪ければ、音色の魅力は半減されてしまうのです。
何かと共振するというのは、互いを高め合うことも、その反対の結果になることも、どちらにもなりうることでもあります。
フラクタルは再帰でもある そうして自分の正体を知る
私たちが普段、目にするものの中にはフラクタルなもので溢れています。
フラクタルとは、その図形の一部分を切り取って見ると、図形全体の模様と似ているというものであり、どの部分を見ても再帰(自分自身への参照)しているものであります。幾何学模様でもよく見られますね。
再帰とは自己相似。部分の中に全体があり、それらが再び自分に帰ってくるもの。
これは何だか、本来の自分に帰るという魂的なメッセージのニュアンスにも、違和感なく当てはまるように感じます。
自然の中にある植物、海岸線、貝殻の渦巻き、雲、宇宙、体の細胞もフラクタル。
フラクタルなものをじっと見つめていると、人間の瞳の中の奥深くを覗くとそこには宇宙があって、その宇宙の中をさらに進んでいくと自分にまた戻ってきて、その自分の瞳の奥にはそうして宇宙がある・・・という、永遠に繰り返されるであろう不思議な映像を思い出します。
フラクタルとは、小さな部分にも大きな全体にもエネルギーが渦巻いているように見えますね。
そして自分には自分のエネルギーがあり、相手には相手のエネルギーがあります。
エネルギーとは全てを生み出し、内包する宇宙です。
皆、それぞれの宇宙を持ち、そして広大な宇宙(神さま)は、わたしたちみんなの小さな宇宙をすべて、包み込んでいるのではないのかなと、そんなことを思うようにもなりました。
人生とは、それを楽しむための場所でもある
私たちは、もともとひとつの魂であり、高次元にいた自分が、3次元であるこの地球に来たのだと言われています。
自分の魂の成長のために、制限もない自由な5次元から、時間や肉体などの制約を被せられてしまう3次元の地球に来たそうです。
わざわざ高次の世界から次元の低い世界へディセンション(次元下降)をして、幸せや喜びを感じたり、辛く悲しいという感情を味わう必要があったということでしょうか。
この地球で命をまっとうすることの意味は、やはり存在するのでしょうか。
自分の目に映っている世界は、自分の脳が投影しているだけの仮想現実でもある、という話を聞きますと、
魂の成長のために自分で自身の世界を創り上げ、その中で様々な経験と感情を味わうための仕組みそのものが、実は「人生」であったのかもしれませんね。
真理に人は自然と惹きつけられる
もともと、高い波動で素晴らしく大きなひとつの魂であったとも言われる私たちは、そこから分裂した「分け御霊」でもあるそうです。
分け御霊であっても、元々の大きなひとつの魂であった時と、同じパワーやエネルギーを持っているらしく、そのため、本来の高い波動を思い出し、自分の正体を忘れずにいることで、あらゆる悩みから解放されるのだという方もいらっしゃいます。
自らの底には、すでに眠っている偉大なパワーがあったのだと気付いた人たちの中には、その真理を言葉で世に伝え、芸術や音楽、漫画や映画、ダンスなどでも表現されています。
歴史を振り返ってみても、古代から幾度となく、それらは伝えられています。
実は人間とは、真理を魂の奥底で感じ取ることができるのであって、だからこそいつの間にか共感して同調してしまうのではないのだろうかと、わたしは最近、思うのです。
真理が放つエネルギーには、周囲を惹きつけて巻き込むエネルギーも合わせ持っているのではないでしょうか。
きっとその真理とは、宇宙からのインスピレーションとして表現者に渡されたものなのでしょうね。
真理を表現しているものは、それを感じ取った相手の心を揺さぶり、感動や共感を与えて、その輪はフラクタルのように自然と大きく広がっていくのかもしれません。
地球上では今日もどこかで、多くの人々の心が共振して、感動のバイブレーションやレゾネーションが引き起こされているのでしょうね。