人とは、大切に思っている相手を助けたい、喜んでもらいたいと願って行動する時、自分で思っている以上の能力を出せる時があります。
自分のためだけの行動の時に100%の力を出していたと仮定すると、大切な相手のためなら110〜120%くらいの力が出せているのではないかと思うのです。
人の面倒だけ見ていたら、自分のことは何もできなくなってしまうのではないかと考えてしまう方もいらっしゃると思います。か
そういう時は思考を生かします。相手のためにしたことを、自分のためにもなるように考え行動し、工夫次第で自分の糧にすることは十分に可能です。
そしてそれ以上に、大切な相手のことを思いながら魂を込めた行動は、自分の潜在脳にアクセスする鍵(キー)となるような気がするのです。
潜在能は、パワフルでクリエイティブなエネルギーと交わることができるのではないでしょうか。
人間とは、思いやりの心を持った時に普段以上の力を出すことができる
人のためになることが自分のためにもなり、自分のためにしたことが人の役にたつ。
こうなれば、お互いにもメリットが生まれますし、良いサイクルが生まれますよね。
ひとつ気をつけたいことを上げるとすれば、相手を喜ばせてあげたい気持ちが強くなりすぎて、できもしないことまでつい言ってしまい、結局後悔することになってしまわないように、配慮することです。
わたしも過去にやってしまいました。心の底から反省です。
人が、相手を思う気持ちを持って行動する時に、自分の潜在的な能力を引き出すことにつながるのであれば、この行動を基本とすれば予想以上のパフォーマンスが出ることを期待できます。
ということは、利他の思いやりの精神を持った人間とは、実はとても強くて創造的だということになります。
さらに自分の精神を整えて、言動のひとつひとつに責任を持つという基礎を整えることも、自分自身の土台となる大切なマインドセットです。
自分のためにも、大切な相手のためにもなるようにはどのようにすればよいかを常に自分自身に問い、工夫と考え方を身につけていけば、より良い発展へと進んでいくことも可能ですよね。
これこそがおそらく「自分自身の価値を高めること」にも繋がっていくと思うのです。
知恵と知識と経験は、人を救う宝である
無知とは恐ろしいことだ、という言葉をよく聞くことがあります。
確かに、知らないことが原因で損をしたり、しくじったりすることもあるでしょう。
必要な情報はしっかりと取り入れておくべきです。
ところで、これとは正反対の言葉を使って「知恵と知識と経験はだれかを救う」とい表現は、もしかしたらアリかもしれないなと最近思いました。
一個人の体験ではございますが、何も良いアイディアが出なくて詰まっている時に、どなたかの一言で解決への道が開けることがあったからです。
分からなくて本当に困っていたことが、どなたかの少しの手ほどきで、あっという間に終わってしまったことは、目の前が暗闇から晴天の霹靂へ、一瞬で変わったかの様なヒラメキにも近く、知恵と知識と経験とは宝であるのだと、この時に身をもって気付きました。
まさに、人を救ってくれる無形の財産であったのです。
そして、あなたの内側にある知恵と知識と経験という名の宝物は、この宇宙にいるどなたかの助けとなるということです。
知識を語るときに、その意味を本当に理解して熟知して伝えることによって、さらに相手に安心感と信頼を与えることにつながります。
知識と、それに伴う経験が加わって知恵となり、更に自信に変わり、生命力となり輝いていくのではないだろうかとも思うのです。
これこそがオーラであり、カリスマという表現がピタリと当てはまるのではないでしょうか。